kanabun堂

大人になってもゲーム好き。映画も好き。猫も好き。

フランケンシュタインを巡るナショナル・シアター・ライブの10周年記念イベント

【6回連続で見たフランケンシュタイン

 

■はじめに
 こちらは、Lilyさん企画の、ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)が日本に上陸して10周年を記念した非公式ファンイベント「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)アドベント」24日目の記事です。
アドベント企画の概要は下記のリンクよりご確認ください。

adventar.org

前回の「HNかんがえちゅう」様からバトンが回ってきましたよ!

privatter.net

そう実はこの企画の為に100万年ぶりにこのブログを作ったのでした!ドン!
とてつもなく長い文章になったので色々わけております。
感想だけを見たい方は「2」だけドウゾ!

 

1:NTLiveとフランケンシュタインとは

2:見終わった直後の感想
3:おまけのそれぞれの役の個人的感想
4:おまけのTwitterの当時の呟き
5:おまけのその他のNTLiveの呟き
6:最後に

 

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1:NTLiveとフランケンシュタインとは

「どうしよう、本物だ……本物を見てしまった」

 

フランケンシュタイン』を初めて見た後、映画館のトイレの中で誰にも聞こえないよう繰り返し呟いた。いったい何が本物なのか、よく分かっていないままに。
ただ、さっき見た衝撃とパワーを上手く表現することができなかった。

「……本物だ、これが本物なのか」

そして、うわごとのように呟きながら、明日の上映チケットをネットで購入していた。
繰り返し購入し、博士役、怪物役をセットで3回。合計6回見た。

 

 2014年2月某日、自分の初『ナショナル・シアター・ライブ』歴は今はなき「TOHOシネマズ 天神・本館」で始まった。それから、決して多くは無いが数々の「本物の舞台」を見る機会を得た。

……と、その前に『ナショナル・シアター・ライブ』とは?
なんぞやという、たまたまここに辿り着いた方の為に説明すると

 

『ナショナル・シアター・ライブ』
─── あの話題の傑作舞台を、日本の身近な映画館で

ナショナル・シアター・ライブ (英語: National Theatre Live)、
略称NTライブは、ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターが
行っている企画で英国ナショナル・シアターが厳選した、
世界で観られるべき傑作舞台をこだわりのカメラワークで収録し
各国の映画館で上映する画期的なプロジェクトです。

 

 この超ロイヤルな紹介文と舞台に心揺り動かされた……のではなく、正直に言うとベネディクト・カンバーバッチめあてで見に行った。BBCのドラマ「SHERLOCK」(シャーロック)からベネディクト・カンバーバッチにハマったミーハーなのでベネディクト・カンバーバッチめあてで見に行ったのだ。(くどい)

 

「へー、博士役と怪物役を交代で演じるんだ。ジョニー・リー・ミラー?ああ、エレメンタリー ホームズ&ワトソンのホームズ役の人か。ホームズ対決じゃん。ガラスの仮面みたいじゃん。じゃあ両方見るか、長いけど」

 こんな薄っぺらい知識しかないままで、一人映画館に向かった。

 

『フランケンシュタイン』
演出:ダニー・ボイル
原作:メアリー・シェリ
出演:ベネディクト・カンバーバッチジョニー・リー・ミラー、他
音楽:アンダーワールド

ベネディクト・カンバーバッチ as 博士役バージョン
上映時間:2時間6分

ベネディクト・カンバーバッチ as 怪物役バージョン
上映時間:2時間12分

 

 演出のダニー・ボイルは『スラムドッグ$ミリオネア』の監督。2012年ロンドンオリンピック開会式の監督。そのダニー・ボイルが演出を手掛ける舞台。音楽のアンダーワールドもイギリスを代表するエレクトロニック・ミュージック・グループ。

 

 このフランケンシュタインの舞台を「博士役」「怪物役」を初めて見た感想を自分は2014年に書き殴っていた。とてつもなく長いが多少修正して再掲載する。ネタバレ感満載で、読みにくく今読んでも「やっぱ薄っぺらいな!」と思うが、当時の見終わった直後の「凄い!本物だ!本物を知ってしまった!」という胸の内から溢れる想いが溢れている。(気がする)


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2:見終わった直後の感想


『怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ』

 

 フランケンシュタインの感想を言い表す上でまず浮かんできたのが、この一説だった。ニーチェの有名な格言だが自分がこの言葉を始めて知ったのはロバート・K. レスラーの「FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」の冒頭の一説だった。

 と、まあ。このように自分の知識は非常に偏っていて、かつ薄っぺらい。
怪物が引用するミルトンの「夜更かしのナイチンゲール」も「復讐に飛んでいく」プルタルコスの「英雄伝」も、アダムトイブの「失楽園(パラダイスロスト)」も原典からではなく、ダイジェストやネットやwikiの引用などで知るぐらい浅い。ペラペラだ。

 こんなに薄っぺらい自分が、なんと身分不相応にも世界最高峰と呼ばれる「ロイヤル・ナショナル・シアター」で上演された「フランケンシュタイン」のスクリーン上映を見に行った。以下、その物語と感想である。

 

■ ■ ■

 

 その舞台は、子宮を模したような球体から怪物が生まれる所から始まった。天井に無数に広がる大小さまざまな白熱灯が大音響と瞬き、その度に怪物はもがき苦しみ始める。最初は指先、やがて足先。手首。肩。全身を痙攣させ苦しんで苦しんで、とうとう両の足で歩けるようになった。

 

 だが、創造主から最初に向けられた言葉は慈しみの言葉では無く、存在全てを否定する言葉だった。石もて追われ野に行き着き、滑車が軋み蒸気が吹き出す「社会」へと怪物は辿り着く。産業革命に沸き立つ社会で怪物が目にしたのは、金と力と知識と無知によって生み出される格差社会。誰もが自分のことで精一杯で、生まれたばかりの醜く弱い彼に優しい言葉をかけてくれる者はいなかった。

 

 ほとんどの動物が庇護欲を訴える為に小さく可愛く生まれてくるのに、初めから力強く雄々しい怪物の頭を優しく撫でてくれる人など居ない。創造主からの育児放棄(ネグレイト)と言葉の暴力(モラル・ハラスメント)の次に味わったのは、とうとう他者からの身体的な痛みだった。それでも怪物は、たった1人で学んで行く。

 

 太陽の温かさ。生命の喜び。小鳥の歌声。雨の恵み。土の匂い、風そよぐ植物の逞しさ。やがて訪れた暗闇と凍える寒さ。孤独の悲しさ。自由にならない手足と、言葉も知らない彼はたった1人で生きなくてはいけなかった。

 

 最初に学んだのは「怖いものから逃げる」こと。次に覚えたのは「自分は醜い」ということ。

 

 怪物は追われ追われて、街から遠く離れた荒野に立つ農家へと辿り着いた。そこには目の見えない老人と、息子夫婦が暮らしていた。餓えた怪物は、目が見えない老人の食事に手をつける。拒絶されれば、また1人あてどもなく逃げて行ったことだろう。

 だが、老人は怪物を恐れることなく音楽と言葉を教えた。怪物は乾いた大地に水が染み込むがごとく次々に知識を吸収していった。時折、怪物はごんぎつねよろしく息子夫婦の手伝いもしていた。荒れ果てた農地の石を取り除き、ウサギを置いて、彼らの為に良かれと思って尽くしていた。それでも「醜い自分」を恐れて、決して2人の前には現れなかった。

 季節は巡り。農地を耕し生き抜く彼らの中で、怪物は学ぶ喜びと自分の行動で誰かが喜ぶ嬉しさを知る。そうやって知ることで、承認欲求と知的好奇心を持て余していった。遠くから畑で手を取り合い、愛を語り、未来を夢見る息子夫婦を見ていた怪物は、やがて「夢」を見るようになった。自分と同じつぎはぎだらけの女の夢だ。夢の中で女は母のように怪物を抱きしめ、暗闇に中に溶けていった。

 

 どうして自分は1人なのか。何処で生まれ、何の為に生きて、どうしてこうなのか。
その答えが分からないままでも、生きては行ける。現に大多数の人間は答えを知らないままで生きているのだから。謎を謎のままにして生きて行ければ良かったのに、終わりは唐突にやって来た。それも一番最悪なパターンで。

 

 盲目の老人は息子夫婦と怪物を会わせたいと申し出て、拒絶をする怪物に「約束」してしまう。「彼らは優しい、お前にも優しくしてくれるはずだ。自分がちゃんと説明する」からと。シャイな怪物が丁寧にお辞儀をして挨拶をしようとしている間に、息子夫婦は怪物を一目見るなり叫び声を上げた。

 

 なぜ息子夫婦は気がつかなかったのだろう。
荒れた農地を耕して、食料をそっと届けてくれていたのは他ならぬこの怪物だったことを、どうして想像してくれなかったんだろうか。多くの生き物は子供が腹にいる時に過剰に身を守ろうとする。身重の妻を守ろうと息子も攻撃的になったのかもしれない。

 

 それでもやっぱり彼らは残酷だった。必死に言葉を紡いで挨拶をする怪物を棒で殴り、妻も「殴り殺してくれ」と追い払った。いつの世も「無知は罪」だ。盲目の老人は必死に誤解を解こうとしたが、興奮した息子夫婦には声は届かなかった。

 怪物は裏切られた悲しみを、老人から学んだ人間たちの歴史をなぞり復讐した。もうすぐ生まれる子供を腹に抱える女と息子。そして老人を一緒に学んだ家ごと焼き殺してしまった。

 この時点で、怪物は無垢で弱き生き物では無くなった。人は生まれで差別してはいけないが、その行いによっては必ず区別される。怪物は、とうとうその身に罪を負った。

 

■ ■ ■

 

 満たされない孤独を抱えて、怪物は導かれるように自分を創造したヴィクターの故郷へ辿り着く。

 余談だが舞台に置かれた「たった2つの桟橋」と陰影で表した湖のほとりは、実に素晴らかった。見る者に、モンブランの氷の山々から下りてくる澄んだ水の匂いまで伝えてきた。

 その水辺で怪物は、ヴィクター・フランケンシュタインの弟に出合った。

最初は弟と分からずに、自分の醜い姿を見ないように注意深く話しかける。「友達になろう」と怪物が言った言葉は、きっと本心だったに違いない。だが、その姿を見られ拒絶され、怪物は弟までも手をかける。

 

 また怪物は罪を重ねた。ずしりと心が重くなる。ヴィクターをおびき寄せるためだけに、何の罪も無い幼い子供を殺してしまった。裏切りや、悲しさや、復讐でもなくだだの手段として子供を殺したのだ。だが、狙いは正しく、罪悪感から屋敷にずっと閉じこもっていたヴィクターは怪物の下へやってきた。


 そこで怪物は初めて理性を持って博士と向き合った。いや、理性などどちらも最初から無かったのかもしれない。「女を作ってくれ」と怪物は懇願したが、どちらも女がなんたるか分からない。童貞同士の不毛な理想だ。それでも抗う事の出来ない創造への欲求にヴィクターは屈した。弟を殺した怪物にそそのかされ、再び過ちを繰り返す。

 

「女を作れば遠くへ行くか?誰にも危害は与えないか?」と尋ねたヴィクターに
「貴方が約束を守る限り」と怪物は答え握手を交わした。破滅へのフラグが立ったと思った瞬間だった。
 
■ ■ ■

 

 幼い頃からの婚約者であるエリザベスはヴィクターの何が好きで、ヴィクターはエリザベスの何が好きで結婚しようとしているのか、悲しいかな自分にはよく分からなかった。エリザベスが優しく美しいことは分かる。あれこそ理想の女性の具現化だ。早くに亡くなったヴィクターの母親が、彼女との結婚を望んでいたのも頷ける。

 

 だが、あの桟橋で「ずっと会って無いわ。お話しましょう。私たち結婚するのよ?」とエリザベスが言った後「でも話すことが無い時は?」とヴィクターが困った顔で尋ねた時に観客からは一斉に笑いが起こった。

 自分も笑ったが、同時に「この2人は幸せになれるのか?」とも思った。
彼女はボルタ電堆もガルバニー電池も錬金術士のアグリッパもパラケルススも知らない。共通の趣味も、会話も無い二人ははたして家庭を持って幸せになれるのだろうか?

 

 当時は女は子供を生み家庭を守り、外の世界など知らずともいい時代だったのかもしれない。しかし、相手は「死体を寄せ集め命を創った異端の天才博士」だ。孤独な天才だったであろう息子に、母親は自分の代わりに優しく従順な娘をあてがっただけなのかもしれない。そんな風に思うのは自分がエリザベス側に立てない、ひねくれた思考の持ち主だからだろうか。

 

■ ■ ■

 

 女を創るためヴィクターは故郷から遠く離れた地で、無学な男達を雇い墓を暴き死体を集め理想の女を創り始める。その方法は「これが私の起源か」と怪物すらも吐き気をもよおすと言わしめた。

「土葬じゃなくて、日本のように焼き尽くされ灰になっていれば良かったのに」とも思ったが、それでは物語りが始まらない。そしてすぐに「でも、ヴィクターはシャーロックみたいにどんな手を使っても死体を手に入れるだろう」と思い直した。

 そうしてヴィクターが生み出した、偽りの女神を一目見ただけで怪物はたちまち恋をした。言葉も交わさぬ女を姿形だけで恋したのは、怪物の理想を映していたからか。それとも、ただの偶像崇拝で誰かを愛することで「依存」という心の癒しを得たかったのか。怪物はヴィクターが知らない愛する想いを情熱的に語り伝えた。

「この愛のためなら何でも出来る」と。

 

 たとえ思い込みでも、偽物の愛でも、怪物の想いは嘘ではない。ヴィクターが自ら創った理想の女をずたずたに引き裂いて「お前に何が分かる!」と罵り切り裂いたのは、どんなに学んでも得られなかった愛情を怪物が先に知った嫉妬かもしれない。血みどろの惨劇の中、怪物に殺されそうになったヴィクターを助けたのは父親だった。その父にヴィクターは言った。

「自分の日記を必ず燃やして欲しい」そして「エリザベスと結婚しなくてはならない」と。それが怪物と決着をつけるためのオトリだったか、自らの過ちを修正するためだったか、エリザベスへの愛情からだったのかは今でも自分は分からない。 

 

■ ■ ■

 

 ヴィクターは故郷に帰り、エリザベスと一言も言葉を交わさず結婚した。めでたい結婚式の日に、彼女に初めて怪物の存在を明かす。「人間を創りたかったのなら早く結婚すべきだったのよ?」とエリザベスは誇らしげに言った。「普通はそうするのよ?」と当たり前のように、身の内に豊穣の大地を持つ女神は進言する。「男はどうしてこうなの?」と呆れた口調で。

「自分が間違っていた。怪物を殺して戻って来る」と銃を手にしたヴィクターに「行かないで、自分に触れて」とキスをして、危険を前に何より先に体を繋げようとしたのは本能だったのか。そんなエリザベスに「禁断の実を口にした。もう戻れない」と彼は背を向け去って行った。それが2人が交わした最後の会話になった。
 
 ヴィクターが出て行った後に、怪物がエリザベスの元に「約束」を果たしにやって来た。だが、これまでのようにはすぐに殺さないし、すぐに奪わない。

「マダム、あなたの婚約者は酷い人だ、約束を守らない。自分は友達が欲しいだけだ」と懇願する。外の世界を知らず愛されて育ったエリザベスは、怪物の言葉を疑うこともなく「私でよかったら友達になるわ」と微笑みかける。

「話をしよう。危害は与えない」と約束した怪物に「何が得意なの?」と無邪気にエリザベスは尋ねた。「独学が得意だ」と怪物は得意げに答える。
「人を観察して、人を罵り、侮蔑し、屈辱を与える方法を学んだ」
生まれてすぐに愛情を与えられ、優しい言葉をかけていたら、ヴィクターよりも慈悲深い天才になっていたかもしれない。だが、そうはならなかった。

 

「とうとう必殺技を教わった。嘘をつくことだ」

 

 怪物は謝罪の言葉を口にした後、とうとう最大の過ちを犯してしまう。 無理矢理にエリザベスと体を繋げ、ヴィクターの目の前で彼女の細い首をへし折った。心を殺して、体も殺して、最後に自分を殺してくれと、銃を向けたヴィクターに懇願した。それなのにヴィクターは、最後まで引き金を引くことすら出来なかった。窓から逃げ出す怪物に向かって「どこまでも追って行く!必ず殺す!」と叫んだが、どうしてあの時に銃を撃たなかったのだろうか。
 
「まだ間に合う!生き返らせる!」と叫ぶヴィクターに周囲の者は口々に「おかしい」と「無理だ」と「狂っている」と引き止めた。「お前たちに何が分かる!私は偉大だ!」とわめき散らすヴィクターは確かに偉大な天才だった。たぶん、こうした奇異の目で幼い頃から周囲に見られていたんだろう。

 偉大な父親はエリザベスの亡骸を見て「育て方を間違った」と「失敗した」と呟いた。この話で自分が一番残酷だと思った言葉だ。

 本当の怪物を生み出したのは、誰だろう。良かれと思って生きているのに、どうして誰も幸せになれないんだろう。「愛情を与えられず育った子は、愛を理解出来ず、与えられない」のだろうか。

 

■ ■ ■

 

 北へ北へと舞台は移る。
氷の壁に閉ざされ吹雪が吹きすさぶ中、夏の草原に舞うように軽やかな足取りで怪物は食事の仕度をし始める。かつてスプーンを使うことすら知らなかった怪物が、うやうやしくワインを注ぎ、ナイフとフォークを沿え肉を豪華に並べ給仕をし始めた。吹雪の中に現れたのは、ソリを弱々しく引いて歩くヴィクターだった。

 

「父親が息子になり、王が奴隷になる」

その言葉通りつぎはぎだらけの毛皮は、怪物の皮膚を繋ぎ合わせた傷口のようにも見えた。ソリを引いていた犬は死に、北極に近いこの場所では補給する術も無いと言う。
「早く!磁石の原点を探しに行こう」と無邪気に誘う怪物の目の前で、ヴィクターはとうとう倒れてしまった。

 

 姿かたちは違えど彼らは同じだった。どこで間違った?どうして幸せになれない?
この世界は男と女で構成されて、普通じゃないものは壁の外で生きて行くしかないのか?何も知らずに、皆と同じように「普通はそうする」ように生きて行ければ良かったのに、そうではない道を選んでしまった。

 

 知ってしまってからはもう遅い。
禁断の果実の味を知ってしまえば、もう楽園に引き返すことができない。他人から与えられた楽園は、安住の地であればあるほど動物園の檻になる。ヴィクターは、安全な故郷の檻の中に居ることが出来なかった。怪物は、創られた子宮に戻ることは出来なかった。どちらも足らないのは女ではない。ただ愛してくれる人だったのに。

 

 もはや這い上がることすら出来ないヴィクターに向かって「エリザベスのことを今でも覚えている!彼女の唇!胸!」路地裏にたむろすゴロつきのような口調で怪物は挑発し追い打ちを掛ける。そうして「何をしたかは分かっている」と「死とはなんだ?私も死ねるのか?」横たわるヴィクターに寄り添うように怪物は悲痛な声をあげる。

 

「……冷酷だった。許してくれ」

倒れたヴィクターに対して怪物が初めて口にした、後悔と謝罪の言葉。自分を創造したヴィクターを抱き起こし、血のように真っ赤なワインを口元に注ぎながら怪物は唇を何度も落とす。

 

 ヴィクターは、このまま怪物の胸で死んでしまうんだろうか。原作は悲劇であったことは知っている。これは壮絶な心中の物語だ。原作ではヴィクターの日記を第三者が語る形式で始まる。「めでたしめでたし」で終わらない悲劇の名作として後世語り継がれている。 

 

 そう思った矢先、ヴィクターが息を吹き返した。「愛とはなんだ?」とヴィクターは問いかける。「教えてあげよう」と怪物は手を延ばした。怪物が差し出した手に、ヴィクターは一度は手を伸ばす。「優しいものは全て追い払った。嫌悪しか理解出来ない。お前を殺さなければ」その刹那。ヴィクターは「お前だけが、生き甲斐だ」と付け加えた。その瞬間、悲しげな怪物の顔が笑顔に満ち溢れる。

 

「行け、地獄の果てまで追いかける」
「それでいい、それでいい。貴方の創造を殺しに来なさい」

 

 孤独な創造主に呼びかける、怪物の足取りは軽やかだった。こうして世間の理に背いた創造主と、怪物は一緒に死んで行く。彼らの終わりは「死」で幕が下りるのだろう。

 

 いや、違う。200年前にメアリー・シェリーに生み出された時はそう決着するしかなかったのだ。今はそうじゃない。北極点の向こう側。あの先には緑の大地があるかもしれない。きっとこの先は、草木生い茂る暖かな大地が広がっているはずだ。そんなはずは無いだろうと、鼻で笑われる覚悟で自分は思った。

 

 光に向かって歩く二人を祝福するように、怪物が最初に外に出て太陽の光を浴び、生命の喜びを知った音楽が流れていた。あの燦々たる氷の壁の向こう側、200年後のこの世界に辿り着いた彼らの先にはパラダイスがあるかもしれない。

─── そんな救いを想像する人間が、1人ぐらい居てもいいはずだ。

 

 END


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3:おまけのそれぞれの役の個人的感想


ベネディクト・カンバーバッチ as 博士役バージョン
(上映時間:2時間6分)

・博士ベネ。とてもしっくりきた。
天才なのに愚かしく人間的。右往左往して怪物に振り回される役を見事に演じる。
シャーロックに近い。髪の色は違えど雰囲気も似ている。

ジョニー・リー・ミラーの怪物。
時々野生児っぽくてカワイイ。残酷な面にがらりと変わる。
目が大きいので舞台映えする。ベネ博士を本気で殺しに行く殺気も凄い。


ベネディクト・カンバーバッチ as 怪物役バージョン
(上映時間:2時間12分)

・怪物ベネ。人外感が凄い。
最初は弱々しく庇護欲をかき立てられる。とても可哀想。
どこか子供っぽい。博士のこと好き過ぎる。

ジョニー・リー・ミラー博士。
怪物ベネが怪物過ぎて一緒にいると博士というよりも貴公子。
怪物のことを本気で殺す気合いは上。


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4:おまけのTwitterの当時の呟き

Twitter(X)がどうなるか分からないので記録的に抜粋してみた。

 

2014年1月8日
カンバーバッチ&ジョニー・リー・ミラーW主演舞台
フランケンシュタイン」、日本の映画館で上映決定!
うひょおおおおお!!!行く行く行く!!天神行く!!

 

2014年2月26日
そうだ!フランケンシュタインは2枚組みセットで500円引きとかにしたら、
2倍売れるんじゃね?今ならフランケンシュタインハッピーセット
ポップコーン付きとか、博士と怪物のキーホルダー付きとか……!無いかw

 

2014年2月23日
またまたフランケンシュタインのネタバレ無い感想を・・・
「向こうの観客は凄く笑う」
「舞台装置がシンプルかつ最大の効果」
「ベネクリーチャーの青い目がライトに当たって益々クリーチャー」
「顎がクリーチャー」
「指が長くて超綺麗」
「歯も綺麗」
「時々発する甲高い声が凄い」
「ベネ人外可愛い」

 

2014年2月24日
フランケンシュタインの怪物にはアダムとイブじゃなくて「蜘蛛の糸」読ませて
地獄絵図とか見せて「生まれに差別は無いが、行いによって区別される」と教え
仏教系で洗脳しとくべきだった

 

2014年3月1日
フランケンシュタインで怪物に誰にも名前をつけなかったのは、
やっぱ情が沸くからかなー……。
自分も猫とか犬拾っても、他の人に譲る時は名前をわざとつけないもんな

 

2015年11月5日
ベネの出てるので一番好きなのが自分は「フランケンシュタイン」なんだな!
見てない人は絶対見るべきなんだな!語彙が足りないんだな!おにぎりが好きなんだな!

 

2018年10月4日
「ナショナルシアターライブのフランケンシュタイン。博士役と怪物役交互にどっちも見ろ。自分は6回見たがまた見たい。ちなみにDVD化はされてない

 

2018年7月19日
もう5年かあ……SHERLOCKで知ったけど一番好きっていうかびっくりしたのは
NTLの「フランケンシュタイン」だった……「本物や……」って思った。
舞台凄い……あのベネは本当になんかもう……怪物役も博士役も凄かった……

 

2019年7月19日
ベネの出演作では舞台のフランケンシュタイン」が一番好き……怪物役も博士役も凄かった……円盤ならないかなあ……

 

2019年11月6日
ベネのフランケンシュタイン好き過ぎて3回づつ6回行った。サントラも持ってるけど……舞台は円盤にならんのよー!!

 

2020年4月24日
ベネの作品で一番好きなのはフランケンシュタインです!!!音楽も最高!!サントラ買ったー!

 

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5:おまけのその他のNTLiveの呟き


2014年4月28日
コリオレイナスのゲイティスさんの演技見て「視線とか手の動き凄いわ。舞台役者ってパネェ……」って思った。なんなのー演技も出来て話も作れるってなんなのー天才なのーそーなのー!

 

2014年4月29日
コリオレイナスのコロコロ主張が変わる下っ端の奴ら見て「ああ~、今の世の中も居るわ~」って思った。この持ち上げて突き落とすカンジ。現代に通じるわー

 

2014年10月5日
ナショナルシアターライブは全部おもろかったけど、意外だったのが「ザ・オーディエンス」!これが物凄い面白かった!Twitterで事前に「事前にこれだけは知っておけ!英国の歴史」の資料のおかげで!

 

2014年10月6日
ハムレットの上映時間239分ですよ!上映前に前に食べるべきか、食べないべきか・・・!それが問題だ!


2015年11月7日
「ザ・オーディエンス」めっちゃ面白かった!TLで回って来た「歴代イギリスの首相のキャラ解説」と「首相在任時期のエリザベス女王の年齢紹介」があったから10倍以上楽しめた!ありがとう!あの時の人!!

 

2015年1月23日
ザ・オーディエンスは笑いどころが多くて、エリザベス女王さんの服や帽子も凄い可愛くて、シェイクスピアよりも軽い感じで見られて良かったな~。長かったけど全然長く感じなかったw

 

2014年8月29日
リア王が「認知症と生前贈与問題」という非常に現代っぽい話しでビックリした・・・

 

2014年10月6日
ハムレットちょっと予習して行ったんだけど……「そもそも、なんでオフィーリアと付き合うのアカンかったの?なんで気が狂ったフリしたの?なんで間違って刺しちゃったの?つか、耳から毒って……検視しようよ!モリー出番だよ!」とかずっとツッコミ入れまくってたw

 

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6:最後に

 

2023年12月某日。
東京コミコンでこんな自分がとうとう実際のベネディクト・カンバーバッチに会うことが出来ました。ロンドンに聖地巡礼に行っても会えなかったのに!
何度も何度も英語で「あなたの舞台は最高でした。これからも頑張ってください」と練習していたのに、言えたのはたった一言。「Thank you」だけでした。
もう二度と会うことは出来ないかもだけど、変わらず素敵な瞳でした。
この世界に本当に存在していたんですねぇ……。

(長くなるのでこの話はまた今度)

 

さて!そんなベネディクト・カンバーバッチをはじめ、英国の至宝たる俳優の舞台を見られるナショナル・シアター・ライブが10周年記念でアンコール上映開催中です!

2023年公開情報 | ntlivejapan

もう見られないと思っていたあの舞台が!あなたの街の映画館で見られるかもしれない!?ロンドンに行かなくても見られるかも!?演劇に興味がある方も、ベネディクトに興味がある方も是非!

 

次回は、この素晴らしい企画をされたLilyさんの締めの記事です!
数々の傑作たるメンバーの中、最後の方に自分のようなカオス記事で申し訳ない。
長々とありがとうございました。